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>> 2011年に読んだ音楽関係の本まとめ
今年読んだ音楽の本を紹介してみます。
たくさん読んだつもりだったけど、数えたら7冊だけでした。
手元にない本もあるのでコメントは一言程度です。

『ドビュッシー音楽論集―反好事家八分音符氏』 C.ドビュッシー/平島正郎訳
ドビュッシー音楽論集―反好事家八分音符氏 (岩波文庫)ドビュッシー音楽論集―反好事家八分音符氏 (岩波文庫)
(1996/01/16)
ドビュッシー

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ドビュッシー本人の文章を集めたもの。たぶん絶版ですが、古本でたまたま入手しました。
クラシック音楽の知識が乏しいのでピンと来ない部分も多かったりしましたが、文章が詩的でなんとなく読み通してしまいました。
「音楽についての語りよりも聴いたときの素直な印象が本質だ」という旨のことを言っていたと思います(記憶違いだったらごめんなさい)。
別の訳で内容も多い本(『音楽のために―ドビュッシー評論集』 )もあるみたいなので、機会があったらこっちも読みたいです。

『現代音楽の冒険』 間宮芳生
現代音楽の冒険 (岩波新書)現代音楽の冒険 (岩波新書)
(1990/05/21)
間宮 芳生

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これも絶版。1990年の本です。
日本の民謡やら民族音楽をおもな題材にして、西洋音楽的に分析するような内容でした。
著者の作曲家としてのエピソードが豊富で読みやすかったです。

『ジョン・ケージ著作選』 J.ケージ/小沼純一編
ジョン・ケージ著作選 (ちくま学芸文庫)ジョン・ケージ著作選 (ちくま学芸文庫)
(2009/05/11)
ジョン ケージ

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ケージの音楽的な仕事については疎いですが、この本はとてもいい想像力を与えてくれました。
音楽というと音符で表わされるものを思い浮かべがちだけれど、その実体は「音響」だということ。
音符のフィールドと音響のフィールドの両方で音楽を考えるということは今でも大事だと思います。
音と沈黙が同等であるというアイデアはすごい。

『倍音 音・ことば・身体の文化誌』 中村明一
倍音 音・ことば・身体の文化誌倍音 音・ことば・身体の文化誌
(2010/11/01)
中村 明一

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あまり濃い内容ではなかったように記憶していますが、音色(ねいろ/おんしょく)について考えるときは倍音に着目するのだということを再認識できました。
倍音は楽譜に記録されていないというのはその通り。

『音楽は自由にする』 坂本龍一
音楽は自由にする音楽は自由にする
(2009/02/26)
坂本龍一

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坂本龍一の自伝(インタビュー)。
音楽を作っていくには音楽以外の知が必要なものだと思うんですが、そういう意味での彼の教養っぷりが感じられた本でした。

『精神の病いと音楽―スキゾフレニア・生命・自然』 坂上正巳
精神の病いと音楽―スキゾフレニア・生命・自然 (広済堂ライブラリー)精神の病いと音楽―スキゾフレニア・生命・自然 (広済堂ライブラリー)
(2003/10)
阪上 正巳

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2011年は精神医学に興味を持った年で、音楽と精神医学の交点にある本が見つかったので読んでみました。
音楽療法の過程で、統合失調症の患者が見せる演奏の様子にいくつかのパターンが見出せるという話を切り口に、病者の音や時間の感じ方について論じた内容……だったと思います。
音楽の傾向としてはミニマルやアンビエントに通じる話だと思いました。

『音楽機械論』 吉本隆明・坂本龍一
音楽機械論 (ちくま学芸文庫)音楽機械論 (ちくま学芸文庫)
(2009/08/10)
吉本 隆明、坂本 龍一 他

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坂本龍一と吉本隆明が、スタジオでレコードや制作風景を聴きながら対談した本。
もとは1985年の本だけど、DTMをかじっていると(当時の最先端の)音楽制作について頷ける部分が多くて面白かったです。

音楽について語るための自分の言葉をすこしずつ身に付けられたらいいなー、と思いながら本を読んでいます。今は子供みたいなものですからね。
来年はもっと読みたい!


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>> 『東のエデン劇場版 I The King of Eden』感想のような
『東のエデン劇場版 I The King of Eden』
(公式ブログ:http://juiz.jp/blog/

公開初日の11月28日に観てきました。
細かい感想を書こうかと思ったんですが、まとまらないのでやめ。劇場版のネタバレはなしで。

とりあえず、この劇場版はTVシリーズの後日談なので、単体では楽しめない感じです。
そしていいところで『劇場版 II』に続く。なんてこったい。

とはいえ日本のネット文化に浸かっている人ならば、考えさせられる事があると思います。
TVシリーズから多用されている「ニート」という言葉を聞いて、ネットで触れた何かを連想するならば。

「東のエデン」はネットの世界のお話ではないのですが(そもそもネットは世界ではない)、「ニート」という存在が「ネットに棲む持たざる者」の象徴になっていると思うのです。
社会の出来事と自分のつながりが薄いように感じる人。
そういう人たちの知恵を集めて国を救う、というのがTVシリーズのラストでした。
「2万人のニートが日本を救う」。言葉にするとシュールですが、もしかすると「東のエデン」の舞台である2011年以降には現実にありえる話かもしれない。
たとえば国の様々な仕組みがネットへ適応していくことによって。
そういう意味で、これからのネットと現実のあり方に少しの予感を与えてくれます。

フィクションとしての設定と、「あるかもしれない」絶妙な近未来感。
それらが交差するところに「東のエデン」の面白さがあるのだと思います。
「劇場版 I」ではストーリーが未解決なので、「II」でどんな結末を与えるのか楽しみです。
森田さん
パンフレット(右)の表紙はどう見てもハチクロの森田さん。




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